東大寺ではかつて、修行の一環として「お風呂の時間」が設けられていた
仰天! 入浴の日本史① 町湯のルーツは寺の「功徳湯」
汚れを洗い流すのは仏に仕える者の大切な仕事
「仏教では汚れを洗い流すことは御仏に仕える者の務めとする、沐浴(もくよく)の功徳が説かれていました。そのため寺院にとって不可欠な七つの伽藍(がらん)には、浴堂も数えられています。それが揃うことで、初めて七堂伽藍といわれるほど、重要な意味を持っていたのです。実際に、東大寺には大湯屋と称される浴室が設けられていて、修行としての入浴と衆生救済の一環としての入浴が行われていました。これが、日本人が自然に湧き出している温泉以外の場所で入浴した、最初の事例なのです」と、風俗史家の下川耿史さんは語る。
仏教では仏陀(ぶっだ)の時代からお湯の効能が説かれていた。『大比丘三千威儀経(だいびくさんぜんいぎきょう)』では、温室(うんしつ)と浴室それぞれのお湯の効能が記されている。温室は保健や病気治療用の蒸し風呂で、浴室は僧侶が体を清め、汚れを取り除く洗い湯と紹介。蒸し風呂は大釜で湯を沸かし、その湯気を浴室に溜める方式が一般的だった。
東大寺や興福寺といった大寺院では庶民に「ふろ」を提供。人々の健康増進を図ると同時に、国家や仏教に対する感謝の念や忠誠心を植え付けたのである。これは「功徳湯」と呼ばれ、その後は唐招提寺(とうしょうだいじ)や西大寺(さいだいじ)など、多くの寺院でも実施されるようになった。
<雑誌『一個人』2月号より構成>
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